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北アルプスで遭難しそうになった話

濃霧の西銀座縦走路にて

 

これは大変恥ずかしい話ではあるが、記録として残しておこうと思う。
3年ほど前、私が北アルプスで、あわや道迷いしかけた話である。

 

北アルプス  飛騨山系は広大だ。
標高3000m近い稜線が南北に走り、長野、富山、岐阜の三県を分かつ。

 

信州松本から西を眺めると、ひときわ高く見える三角形の端正な顔立ちの山がある。それが常念岳だ。常念岳蝶ヶ岳、燕岳などと南北に連なる常念山脈を作っている。

常念山脈から槍ヶ岳へ至る道は通称、表銀座縦走路とも呼ばれる。

 

常念山脈から高瀬川の深い谷を挟んだ向こう側には、水晶岳鷲羽岳といった山々が連なる。

裏銀座縦走路である。
そして、裏銀座縦走路よりさらに西には、黒部五郎岳薬師岳といった重厚な山々がどっしりと構えている。

 

黒部五郎岳薬師岳鷲羽岳水晶岳にぐるりと囲まれたところは高原になっており、雲ノ平という。

夏には池塘の周りに高原植物が咲き誇り、日本最後の秘境とも呼ばれる別天地であった。 

 

この雲ノ平を目指し、北アルプスの飛騨側の玄関口、新穂高温泉に入ったのは
2015年7月18日の早朝であった。

この年、7月16日、17日にかけては大型で非常に強い台風11号が、日本に上陸していた。

しかし予報では、台風は17日か遅くとも18日には通り過ぎるとのことであったから
翌日からは台風一過の晴天の中歩けるであろうという見通しであった。


装備は上下レインコート、アンダーウェア、ヘッドライト、2食ぶんの行動食、それとは別に2食の非常食。ラーメンを3食くらい。携帯の予備バッテリー。ガスコンロ、コッヘル。カメラと三脚。山小屋を使いつつ、或る程度自炊することで食費を浮かせる計画だった。実家に取りに行く時間が取れず、アイゼンは持たなかった。

両親には日程と、新穂高から雲ノ平へ入り、折立へ降りる旨だけ、メールで短く伝えた。

 

バスが新穂高温泉に着くと登山者センターで着替え、登山届を出した。
1日目は双六岳の直下に位置する双六小屋に泊まり、翌7/19は雲の平山荘泊、7/20は薬師岳山荘泊とし、薬師岳をピストンしてから、折立に降りる行程を記した。

 

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新穂高バスターミナルの天気

 

新穂高温泉から双六小屋までの小池新道は何度か歩いたことがあり知っていた。北アルプスではメジャーなルートの一つで、よく整備されている。
ここは途中、ワサビ平と鏡平にも山小屋があり、万が一どうしようもないほど天候が荒れているか、疲れていたら、そちらに泊まるという選択も考えていた。

 

一日中雨降りしきる悪天候ながら、予定通り昼には双六小屋にたどり着き、宿泊となった。

 

この夜はさすがに天候が悪いせいか、泊り客は多くはなかった。
テント泊の予定があまりに悪天候ということで避難してきている人も何人かいた。
雨は降り続いていたが、風が無い分マシなもので、前日は台風直撃だからもっと風雨は酷かったとのことであった。

屋根に打ち付ける雨音を聞きながら、この日は早くに寝入ってしまった。

 

翌朝。期待に反して天気は霧雨。

列島から抜けると思われた台風は温帯低気圧に変わり、日本海に居座っているらしいとのことだった。とはいえ風は強くはなかった。ただ、視界が効かない。

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朝の双六小屋。天気は霧雨だった

双六岳への直登は残雪が多く通れないとのことだったが、巻き道コースも
良くないとのことで、中道から丸山を経由し三俣蓮華岳に至る。
ここまではスムーズに到達した。そこから三俣山荘までは1時間もかからない道である。

ところが三俣蓮華岳からの急な下りを終えると、巻き道との合流直後、行く手に斜度の急な雪渓が現れた。
雪渓は左から右へと切れ落ちている。
三俣山荘の上部には夏でも残る雪渓があるが、それとも違うように思われた。


双六小屋の小屋番の話では、ルート上の雪渓は切られているとのことだったが、踏み跡は全くない。
同じく双六に泊まっていた登山者も幾人か、三俣蓮華岳から降りてきた。

彼らが言うに「雪渓に沿って下っていき、途中でトラバースするのではないか?」とのことである。
そこで私を含む2,3人で雪渓脇の岩稜帯を、雪渓を左手に見ながら、しばらく下ることになった。しかし、斜度はどんどんきつくなり、踏み跡も無く、どうも道とは思えぬ様相になってくる。

「違うのでは?」と疑問を呈すが「いや、ここだろう」との声も周りから出る。

ならばともう少し下ると、足元の感触が柔らかくなり、明らかに踏み固められた登山道のそれではなくなった。

ここでいよいよ間違いだろうという意見で一致し、上へと戻る。


さて、道に戻って雪渓の向こうまでよくよく見ると
どうも本来の道はそのまま雪渓の高い位置をトラバースするような感じである。
後から考えれば、雪渓が切ってあったところが、台風によって流され、渡れなくなってしまったということだったのだろう。
目を凝らすとかろうじて向こう側に登山道の続きらしきものが見えるが、私もほかの登山者たちもピッケルやアイゼンを持っていなかった。

 

分かったのは後日だが、そのまま下っていたら樅沢(湯俣川上部)に入り込んでしまったものと思われる。

湯俣川といえば、2010年に単独行の女性が迷い込み半月近くも経って奇跡的に発見された所である……。

その女性も、双六小屋から三俣山荘を目指す途中に、濃霧で道を誤り沢筋に迷い込んだものであった。

 

さてどうしたものかと思っていると、黒部五郎小舎からやってきた人が居て、五郎方面は三俣蓮華岳から道が通じているとの話である。

ここで雲ノ平に行くことはあきらめ、西銀座ダイヤモンドコースの縦走路を太郎まで歩くことに決定する。


こうして他に居た方と共に黒部五郎に向かった。
予定では雲ノ平山荘まで歩くところ、太郎小屋までの長い西銀座、さらに三俣で時間をロスしているので、あまり余裕はない。

9時半過ぎ、黒部五郎小屋にはあっさり到着する。

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カールの底の草原に建つ黒部五郎小舎

 

小屋の人の話では、五郎のカールは歩けないほど増水はしていないとのことだった。

ここで他の方は休憩せずに進むとのことで、別れる。

私がご飯を食べ終えて歩き始めたのは10時過ぎ。雨もいったんは止み、視界も幾分ましになったようだった。

 

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五郎のカールはまだかなり残雪があった

しかしカールを登るうちにまた霧は濃くなり、五郎の肩から頂上へと上がった時にはまた、15m先も見えぬような状態となっていた。黒部五郎岳の山頂に着いたのは、正午を少し回った頃であった。

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黒部五郎の頂上は霧で何も見えなかった

 

五郎の肩へと戻り、いよいよ太郎平への長大な尾根を行く。

黒部五郎岳、赤木岳、北ノ俣岳……、これらの山々をつなぐ稜線は、広い。丘のような台地が広がっている。
晴れていれば展望は最高で開放感のある道だが、五里霧中とはまさにこのこと。

 

視界は15mかそこらなのだから遠くのピークなど見えるはずもなく、ハイマツとゴーロの中につけられた道をただたどっていくだけである。

 

ひたすらにハイマツの中に出来た土の細長いくぼみの道を降りていくと、だんだん周りのハイマツが迫ってくる。
いくら人の少ない山域とはいえ、仮にも百名山のメインルートで、ここまでハイマツが迫るものだろうか。どうもおかしいな?と思っているうちに、ハイマツが切れスポンと登山道に飛び出した。

どうも途中で誤った踏み跡に間違えて足を踏み入れていたらしい。たまたまそれが道と交差していたというわけだ。

 

振り返ると降りてきた道には×の印がつけられた石が置いてあった。
登りで間違えて、この小さな踏み跡を上がっていってしまうケースがあるのだろう。
(一応、登ったとしても同じ場所には着くが……)

 

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ライチョウを撮った写真だが、かなり霧が濃い

その後はルートを慎重に辿り、鞍部から赤木岳を目指して登る。相変わらず視界は15mもあるかどうかという程度である。稜線は広くケルンを見落とせば道迷いしかねない。

 

双六岳や三俣蓮華岳で通じていた携帯電話も、この山域では完全に圏外だ。

運動を怠けていたぶんと、午前中の疲れがここに来て足にきており、登りのペースが上がらない。

しかしなんとしてでも日没までには太郎平小屋につかなければならない。

この風雨の中、ビバークできる装備は手元に無い。

周囲に登山者はほとんどいない。

もしルートを外したら、あるいは何かアクシデントがあってたどり着けなかったら……この状況では命に危険がある。

そう思った。

 

 

赤木岳手前で、殆ど止まったような状態でのろのろと進む単独行の女性と出会う。

挨拶をして先に行く。

が、追い越してから冷静に考えると、さすがにあのペースでは日没までに太郎に着けるかも怪しい。それに、返事すら虚ろであった。

 

さすがに心配だったので赤木岳の頂上で休憩という名目にして20分ほど時間をつぶすと、その女性もようやく登ってきた。それ以上待ってこないようなら、様子を見に行こうか考えていたところであった。
聞けば体が動かないと思ったので食べ物を食べたら、少し動けるようになった、とのこと。
おそらく彼女はハンガーノック(通称シャリバテ)にかかっていたものと思われる。食べるという判断ができたから良かったが、もしそのまま行動していれば動けなくなり、低体温症を併発していた可能性もあるな、と思った。

 

しばらくして別の単独行の初老男性も追いついたので、この悪天でもあり、目指す先も同じなのだからということで、一緒に行くことを提案し、即席で3人パーティを組む。
初老男性が先頭、女性が真ん中、私が最後尾。

 

ここからは三人励ましあいながらひたすら足を動かし、北ノ俣岳を越え、太郎山を越え、どうにか17時前、日没を迎えずに太郎平小屋へ辿り着いたのであった。

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ニッコウキスゲ咲く太郎山。ここまで来れば安心だ

 

翌日は打って変わって晴天となり、女性は折立へ降り、私と初老男性は別々に薬師岳に向かった。
それから折立へ下山したのであるが、なんと初老男性とは折立でばったりお会いし、関東まで乗せていただいてしまったのであった。

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登山3日目、晴天に恵まれた薬師岳と太郎平小屋

 


さて、振り返るといくつもの反省点が見つかる
・天気が好転することを期待して、大荒れ直後の山に入ったこと
 台風一過は晴れのイメージがあるが、日本海で勢力を回復したり、停滞することもある。また、台風直後は登山道が荒れ、増水の危険もあることから
 入るかどうか慎重に判断すべきであった

・雪渓が残るルートにアイゼンを持たずに入ったこと
 北アルプスの7月はルート上に雪渓が残る。
 現地情報でアイゼン不要とは確認していたが、雪渓が切られているのはあくまで
 山小屋の人たちの整備の結果であって、少し手を入れられない状況があれば
 通行できなくなることは想像できることであった。

・五郎からの下りでおかしいと薄々思いながら進んだこと

 最近検索してみたところ、他にも同じ箇所で間違えた方はいるらしくその方のブログでは旧道ではないかと思うと記載されていた。

 こうしたミスを犯しても道迷いに至らなかったのは、ただ幸運だったに過ぎない。立ち止まって再考せずに結果オーライだというのだから危うかった。

・コースを変更したことで時間に余裕がなくなったこと

 小屋と歩く人の少ない西銀座へ進んだことで、その日歩く人が極めて少なく、かつ逃げ込む小屋の無い山域を、時間を気にして歩かなければならなくなった。

 これが時間をロスしたくない心理につながり、五郎からの下りでおかしいと思いつつ進んだ原因にもつながっている。

 

この時は単独行、悪天候、ルート変更というマイナス要素が多々ありながらも、幸運に恵まれ無事降りてこられたが、次からは最低限ビバークは出来る装備を持とうと思う。(エマージェンシーシートくらいでツェルトは持っていなかった)