あるく、みる、かく

旅とかアイマスとか

別の宗教の信徒だった私がデレマスに思うこと

■デレマスという宗教の信徒

アニメのシンデレラガールズ1話で見事に心を奪われ
モバマスを始め、アニメを完走し、デレステにハマった。
今月でちょうどP歴3年になる。

幾つかの作品にハマって来た経験からしても、アイマス(自分の場合はデレマス)は
コンテンツとして優れていると感じる。

キャラクターがあって、ゲームがあって、競争があって、妄想する(創作できる)余地が存分に残されている。

音楽があって、声優の露出があって、イベントが頻繁にある。

何より定期的に公式コンテンツが投下される。

言い換えれば、中毒性、常習性がある、ということだ。

その度にお金ばかりが出ていき
仕事にも学業にも恋愛にも役立たないものに熱心になる
まったくもって非合理的な存在である。


そんな宗教を信仰している私は
以前別の宗教の熱心な信徒だった。


まどか☆マギカである。


■大好きだった作品から離れるという経験

まどかマギカは物凄く好きな作品だった。
公式のイベントには、出来る限り詣でたし
取り立てて何か出来るわけでもない自分が、創作に手を出す程にハマった。

同人イベントで沢山の本を買い込み
今でも本棚の半分はまどかマギカの同人誌だと思う。

 

しかし転機が訪れる。
待ちに待った新作『[新編] 叛逆の物語』。


結論から言うと、私はこの作品を好きになれなかった。
何度も何度も映画館に足を運んで、作品に向かい合った。
今思えば、好きになろうと努力していた。

しかし映画の筋書きは、見る回数が増えたからといって
自分好みに変わってくれるわけではない。

見る度に期待は裏切られ、何か得体のしれない感情が溜まっていった。
作品を愛し、作品に愛された人たちが、妬ましかった。


私は楽園から追放されたのだ。

いや、公式側が想定しない所に棲みついて
勝手に楽園だと思い込んでいたのかもしれない。

一部の住人から
「理解できなかった人たち」
と見られることに対して嫌悪を覚えることもあった。


自分の中で別の作品のウェイトがどんどん大きくなり、作品からもコミュニティからも
足が遠ざかっていった。


その後、艦これにハマり、デレマスにハマって今に至るわけである。
(分かりやすい経歴のヲタクだなと、自分でも思う)

 

■離れることで見えてくるもの
作品やコミュニティが、自分にとって幸福ではなくなることは、ある。


いくつかの経験を通して覚えた作品との付き合い方は、

選ぶこと(不真面目になること)だ。


一旦熱狂から身を引いて不真面目になってみると
義務感や他人への意識
あるいは見栄から無理をしていた部分が見えてくる。

その部分を切り捨てて、それでも好きな部分だけ
大事にしていけばいい。


思い返せば、今でもTV版まどか☆マギカは大変な傑作だと思うし、大好きな作品だ。
離れた後でも読みたくなる本も沢山あるし
脳内に沢山の妄想が眠ってすらいる。

 
自分が何が好きで熱を上げていたのか、冷静にとらえられるようになった。
そうなるまでには時間を要したが。

 


■あの熱意の日々は何だったのか

仮にハマらなければ
もっと勉強していたかも知れないし、もっと違う人々と交流したかも知れないし
もっと違う人生を歩んでいただろう。


更に遡れば、学生時代の部活も、プロになれるわけでも、勉学や仕事を助けるわけでもないのに、それを最優先に、熱心にやっていた。
実利を無視した趣味というのは、どれもが一種の宗教的側面を持っていると思う。


しかしそれらが日々の原動力となり、様々な経験を与えてくれた存在だったことはまぎれもない事実だ。


今付き合いのあるヲタク友達は、まどかマギカで知り合った人々が多い。

作品を様々な角度から愛する人が居ることを知った。
何かを表現するというのは大変な熱意や労力のもとに成り立っているというのも
それが誰にでも許されているというのも、まどかマギカで知った。


私はその作品を自分で選び、その作品はごく一部の時間を除いて、私を豊かにしてくれた。

そしてそこに問題が生じた時、一番悪かったのは、私の付き合い方だった。
どこまでも自分を貫き通す強かさも、逆に距離を取る賢さも無かった。


シンデレラガールズも、お金と時間と時に精神力を奪いながら
沢山のいい思い出と少しの残念な思い出になっていくだろう。

 

これから節操なく、色んな作品の好きな部分は大いに味わい
苦手な部分は不満を述べ、それでも合わなければ距離を置き
時々は手のひらを返しながら生きていくだろう。